“Let Go and Let God”
メンバーが口にする頻度としては “One Day at a Time” を上回るかもしれない、アラノンのエスプリとも言えるスローガン。
“let go” とは、特定の人物に対するコントロールをやめる、過去の出来事にこだわるのをやめる、といった文脈でよく使われるフレーズです。
英語にしても日本語にしても、基本的には「何かを掴んでいる手を放す」という物理的な動作を表す言葉ながら、どちらも「結びつきを切り放す」という精神的・心理的な意味での使われ方が浸透しているところがおもしろいですね。
ところで、私は以前、大型犬を飼っていました。おとなしい犬でしたが、それでも外を歩く時は、犬のリードと小さな娘の手を放さないようにしっかりと握ったものでした。
あの感じは象徴的だと思う。手を放したら危ないという緊張感と、手を放した時の心許なさ。当時それは、飼い主・親としての当然の任務でした。
けれどもそれと同じような感覚で、私はあらゆる危険を回避しなければならないと考えていました。自分の安全が脅かされることが何より怖かったのです。
そしてそうさせないことが最大の優先事項である限り、コントロールは尽きることがありません。緊張と過剰な行動の連続で、多大なエネルギーを消耗する生き方であると思う。
アラノンの四つのCは、私たちにはできないこと、やらなくてよいことを明確に示しています。しかし実際の生活においては、物事の意味や重要度は状況に応じて変動し、その境界は思いの外に柔軟です。
祈りや黙想を通して、あるいは他のメンバーと話しているうちに具体的なアクションが思い浮かぶ場合もあれば、一通りかつてのやり方に耽った末「自分にできるのは “Let Go and Let God” しかない」と思い至る場合もあるでしょう。
いずれにしても、やれることをしたら、残りはすべて神さまがなさること。「自分がいなくとも世界は崩壊しない」という事実は、私たちに解放と謙虚さをもたらします。
“Live and Let Live”
“Let Go and Let God” が「自分と神さまの任務」を私たちに思い起こさせる一方で、“Live and Let Live” は「自分と他者の責任」を指し示します。
手元の小学国語辞典によれば、任務とは「責任を持ってしなければならない仕事。務め。役目」であり、責任とは「自分が引き受けて、しなければならない務め」であります。二つは切っても切れない姉妹のような間柄のスローガンですね。
自分の人生は自分のものであり、誰かの人生はその人のもの。余りにも当たり前のことです。しかしながら、あの勝手な「スローガンはアラノンの対義語説」がここでも当てはまります。誰々がどう生きるべきか自分が一番わかっていると考えている時点で、私たちは自分の人生を生きず、他人の人生を生きようとしていることになるのですから。
少し前に、ロイスのバイオグラフィーから発想したシリーズ記事を書きました。その『母親編』の中で、ロイスの母マチルダが、亡くなる直前にロイスにある言葉を告げたことについて書きました。「自分の人生を生きなさい」という、マチルダのその言葉の真意は何であったと思いますか?
アルコホリズムはゆっくりと進行します。そして皮肉なことに、お互いを支え合って共に生きるという家族として当然の営みもまた、時間をかけて家族の病を形成していきます。
アルコホーリクの決断を尊重する。その帰結の責任を負わない。つまり好きに生きる権利とそのための義務をアルコホーリクに与える。これは私たちにとって、とても勇気がいることです。
けれど、何事もまず自分の手を放さないことには神さまにお任せできないのと同じように、私たちがまず自分の人生を生きることが、そのまま相手を生かせることになるのだと思います。
マチルダが遺した言葉の解釈は、それを受け取る私たちの選択に掛かっています。
