『スタディ・ジャーナル』2025年11月号

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昨夜のスタディのトピックは以下の二つ。

 ・アルコホリズムという病に対する私たちの見方を変える「ステップ1」

 ・無力を知ることと、受け入れることの違い

一つ目のトピックにある「見方」の原語は、perspective に当たります。
perspective は「ある物事に対する考え方」の他、「何が重要であるかを知り、重要でない事柄については気に病んだり考えたりしない状態」「真に重要なことととそうでないことを見極める能力」、中学の美術の授業で習った「透視図法」などの意味を持ちます。
アルコホリズムの影響によって捩じれた考え方を、家族の狂ったパースペクティブ、と言い換えることもできますね(そんなアートピースがありそう)。

さて、ステップ1がアルコホリズムという病に対する見方をどのように変えるのかを知るために、私たちが「かつてどう見ていたのか、現在どう見ているのか」について話し合いました。

私の例えで言うならば、病気に関する知識のなかった私は、父の飲酒が「父の意志と家族に対する愛情の欠如」の表れであり、夫については「私がすべて責任を取らなければならない枷」であると考えていました。
そして今、父は意志ではどうにもならない病に侵されていたのであり、父なりに家族を愛していたことが分かります。
夫との関係性については、互いにアルコホリズムの影響を受ける者としてそれぞれの責任は明確にあるものの、日々の出来事の中ではその所在は常に流動的で曖昧です。この先のステップでその判断の拠り所を見つけ、委ねていくわけですが、それはさておき。

私はこの「前」と「後」が単純な対立関係にあるものと考え、ステップ1を介した家族の視点の変化に興味を持ちました。けれど参加者の方々の分かち合いを聞いているうちに、少し違うものが見えてきました。

世代を超えたアルコホリズムの名残り、土地の因習、無知がもたらす偏見や差別、男性、女性、夫婦、家族、親、子はこうあるべきという信念、信念を貫こうとする強い意志と努力、正義、理想、希望、期待、それらに沿えないことへの恥の感覚と罪の意識、責任転嫁。

それぞれの家族の話から浮かび上がってきたものとは、そういったさまざまな要素が複雑に絡み合い、一丸となって病を動かすダイナミクスの構図であったのです。

自分のせいではない、コントロールできない、治すことはできない、つまり無力を知るのは家族の第一歩ではあるけれど、それを受け入れることには、アルコホリズムが家族の病であり、自分もそこに加担しているのだと認めることも含まれるのかも知れません。

「家族の病としてのアルコホリズム」というテーマについては、良かったらこちらの記事もご覧ください。

アルコホリズムという名の家族の病

MORE ABOUT 家族のアルコホリズム

ミーティングの終わりに、無力を受け入れるとは他人の言動をすべて寛容するという意味ではないこと、受け入れることによって他の選択肢(変えられること)に目が向くこと・・・などについても話し合いました。

来月はこの流れに乗って「平安の祈りの力」というストーリーを読みます。
その後、アルコホリズムの影響の一つである「罪の意識」を扱う新しいテーマに入る予定です。

12月7日(日)20時、みなさんにお会いできるのを楽しみにしています。

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9月に入った途端にハロウィンの商品が並び、ハロウィンが終わったと思ったら明日から六本木ヒルズではクリスマスのイルミネーションが始まるとか。
経済効果を上げるための戦略とは言え、何かを待ち侘びることができない無節操な時代ですね。
桜への異様な熱狂はそのせいなのかも。