ステップ11:自分で理解している神との意識的触れ合いを深めるために、神の意志を知り、それだけを行っていく力を祈りと黙想によって求めた。
STEP ELEVEN: Sought through prayer and meditation to improve our conscious contact with God as we understood Him, praying only for knowledge of His will for us and the power to carry that out.
関係性の改善
ステップ11まで来ました。今回も動詞に注目することから始めてみます。
ステップ11の動詞 “seek to” は、「~しようと努める」という意味です。
何に励むのかと言えば「改善すること(to improve)」であり、 何を改善するのかと言えば「(私たちの)神との意識的な触れ合い(our conscious contact with God)」であると、ステップ11は続きます。
「改善する」という言葉からも分かる通り、私たちはここで何か新しいことを始めるわけではありません。
それは絶望の中で自分より偉大な力を微かに意識した時から始まり、その後の決心も、偽りのない自分の姿の開示も、短所を取り除いてもらうための祈りも、その力との接触であったと考えます。
しかしその試みは当然ながら稚拙なものであり、よってより良くしていくように努めるというのが、ステップ10に次ぐ、霊的成長のプロセスを続けていくためのもう一つのコミットメントであります。
関係性を育むもの
さらにステップ11では、神と触れ合うための手段「祈りと黙想」だけでなく、祈りの内容まで明確に限定されています。
「神の意志を知り、それだけを行っていく力を求める」という日本語の文言からは、「それだけ(only)」の「それ」が「神の意志」を指しているように見えます。
ところが原文では、オンリーは「(私たちのための)神の意志を知ること」と「それを行っていく力」の両方に係っています。つまり、この二つだけを祈る、ということ。
ステップ3において、私たちは自分の意志と生き方を神の配慮の下に置く決心をしました。
アルコホリズムの影響(とらわれ・不安・怒り・否認・罪の意識)という深い霧は、その後のステップを経て少しずつ晴れ、私たちはようやく現実を直視することができるようになりました。
とは言え、相変わらず反応的で自己中心的な私たちには、プログラムを使って現実世界を生きていくための知恵も力も足りません。私たちがステップ3の決心を実行に移し続け、新しい生き方が与えてくれるものを欲しいと願うならば、この第十一ステップを避けて通るわけにはいかないのです。
ここでステップ11は頻度やタイミングについては触れていないものの、毎日の朝晩に行うと効果的であることが多くのメンバーたちの経験によって示されています。また、恐れや葛藤が生じた時にいつでもどこでも取り組めるステップ11は、一日を通して私たちの大きな助けになるでしょう。
「私に振りかかる人生」から「私のために起こる人生」に
あらゆる状況を自分の力でどうにかしようとしてきた家族が、馴染みのやり方に飛びつかずに神の前にただ座る。これはかなりの思いきりと辛抱がいることです。そもそも私たちのための神の意志と言ったって、神の意志なのだから私たちに分かるはずもありません。
それでも、分からないながらも祈り求め、目の前に差し出されたことをやっていくと、物事は予想外の方向へと動き出します。一つ、また一つと、問題が自ずと片付いたり別の道が開かれたりといった不思議な出来事が起こるようになります。
それは必ずしもすぐさま好ましい形となって顕れるとは限らない(一見惨事に映る場合もある)けれど、私の家族や近しい仲間たちという小さな輪の中でもこうした計らいが何度もあったことを考えると、祈りと黙想の効果は末端まで実証されていると言えます。
自分の想像を超える経験の積み重ねが私たちに与えてくれる「人生に対する信頼と落ち着き」は、ステップ2で約束されていたもの。
アラノンに来る前の状態を思えば、あまりにも大きい報酬です。しかし次のステップにおいて、この恩恵は循環されていきます。
それでは次回、ステップ12に入りましょう。
