アルコホリズムの影響下にある家庭に育つ子供として辛かったのは、「分からないこと」だった。
まず親が分かっていない。周りの近しい人々は呆れたり心配したり面白がったりするが所詮他人事だし、やがて近寄らなくなる。分かる人が一人でもいたとしたら、ずいぶん違ったのではないかと思う。
子供は無意識にそのことを切望しながら、家の中のごたごたや自分の心の内を隠すようになる。どうせ誰も分からないから。
しかしこれは、私が子供だった頃の日本における話である。
娘がその頃の私と同じくらいの年齢に成長した。今彼女はどんな悩みを抱えているのだろうか。
娘は突然私にこんな打診をしてくる。それは、さまざまな口コミ商品からダイエットレシピ、皮膚科で処方されるビタミン剤、ストレートパーマの施術までいろいろだが、それらの「解消法」を通して、私は娘が問題視している物事を知る。
何でもスマホが教えてくれる便利な時代になったけれど、そうやって物理的な解決策に飛びつく姿は短略的でどこか空恐ろしくもある。上に挙げたのはまだ親に要求できる範囲の事柄であって、それ以外にもいくらだってあるのだ。
アルコール依存に関する社会の認識もまた、この数十年でかなり変わった。
私が当時「分からなかったこと」をChatGPTに聞いてみると、順序立てて詳細に、なおかつ親身になって答えてくれる。これは感慨深いし、飲酒の問題を抱える家族にとっては何かのきっかけを得る大きな助けになるだろう。それでもやはり、理屈として知ることと実際の体験を通して分かることには大きな違いがあると思う。
アラノンに来たとき、私の中にはこの「分かること」に対する憧憬と拒絶が同居していた。そして安堵と抵抗を何度も繰り返しながら、自分に必要なものがそこにあるのだと認識するようになった。
2024年の6月にアラノンプログラムに関するブログ記事を書き始めたとき、この矛盾のようなものを言葉に表したい、と願った。それは確かに私の経験だが、逆に言えば私の経験でしかない。それを踏まえた体で書きつつも、やはり私はどこかで自分の経験を絶対的なものであるかのように感じていた。
ドイツ語に Besserwisser という言葉がある。besser は英語で言うところの「ベター(better)」、wisser は wissen(知っている/分かっている)という動詞から派生した「知っている/分かっている人」であり、つまり「誰よりも自分が一番分かっていると思っている人」という意味の悪口である。
アラノンを Besserwisser 集団、とまで言う権利も勇気も私にはないが、少なくとも私の特徴ではある。
猛スピードで進む情報化に伴い、ソーシャルメディアを使ったアウトリーチに対するアラノンの考え方も変化している。
2022年のワールド・サービス・カンファレンスで更新された方針は、メッセージを伝えるという目的のためにソーシャルメディアを利用できるのはWSO、エリア、ディストリクト、インターグループ、GSOまでであり、グループと個人はソーシャルメディアページを作成しない、としている。その理由は、伝統12に記されている霊的原理を守るため。
SNSにおける個人の発信を奨励する内容の過去のドキュメントもネットに残っていることから、そういう時代を経た上での判断なのだろう。
コロコロと考えが変わる私のような一個人がアラノンを語る危険性を確かに軽視してはいけないと思う。と同時に、捩じられた考えが変えられていくことが回復であるのなら、それを曝すことに何かしらの可能性があることを信じてみたい。それが一人の経験に過ぎないとしても。
とりあえずまだお上からのお咎めはないので(家族の人からの問い合わせやFBもないけれど)、迷い、祈りつつ、ブログという形のアウトリーチをしばらく続けていこうと思う。
参考文献
The 2022-2025 edition of the Al‑Anon/Alateen Service Manual. https://al-anon.org/pdf/P2427.pdf#page=129,(参照 2025-10-11).
