【エッセイ】がんと私とハイヤーパワー

a crab on a beach in the middle of the day

今年の5月、東大病院で乳がんの手術を受けた。術後はなるべく動くように促されるため、毎日病棟内をうろうろと歩き回った。
売店の書籍コーナーで、『病気と折り合う芸がいる』という養老孟司先生の著書を見かけ、手に取ってみた。本のタイトルに興味が湧いたのだ。東大病院の中川恵一医師との共著であり、養老先生のがんの再発後のことが綴られている。「病は人生を考える糧──養老孟司」と書かれた帯の言葉にも心惹かれた。
お二人は、養老先生のがんが最初に発症した時にも『養老先生、がんになる』という本を出している。「病気と折り合う芸がいる」というのは、その本の販促のために書店向けの色紙に書いた文言だったそうで、それが編集者の気に入って続編のタイトルになったのだとか。
養老先生は『病気と折り合う芸がいる』の「はじめに」で、「編集者は僕の『病気と折り合う芸』を読者のお手本として示したかったようだが、そんなものがあるはずはない」と述べている1。私もそれにまんまと引っかかった読者の一人だった。

がんの情報や経験を発信しているコンテンツには、いいものがたくさんある。このブログはアルコホリズムの影響と、そこからの回復について書くものである。だから私が敢えて自分のがんの話をする必要はないように感じていた。だが、思い直した。というのも、私もがんになり、やはり自分の人生についてあれやこれやと考えたからだ。しかも、かなりべたに。そして「自分の人生をどう生きるか」がアラノンのテーマであるならば、今回の出来事に対する私の応答も書き記しておくべきだと思った。

がんが判ったのは今年の2月。市の乳がん検診で要精密検査となり、組織診を行った結果、初期の浸潤性乳管癌だった。
日記を調べてみると、私は前回の乳がん検診を2020年の夏に受けている。「次回の乳がん検診は2022年1月頃」と書いた紙まで挟んであった。つまり4年も過ぎていたのだ。
私には全く自覚症状がなかった。触診の時点で「しこりがある」と言われたが、自分ではよくわからなかった。突然、その事実だけが頭上高くからすうっと目の前に垂れてきて、それを境に私の人生が二つに分けられたような感覚があった。大げさな表現だけれど、これだけ身近な病気でありながら、がんの告知というのはそれくらいのインパクトがあった。

これまでも、人生を変えるようなイベントはいくつかあったと思う。
例えば、海外移住。環境・文化・習慣ごと変わった。
結婚は、私の社会的な立場を変えた。それは少し窮屈でもあったが、私を定着させ、他者と価値観をすり合わせることの苦痛と喜びを教えてくれた。
妊娠と出産は、生物学的な驚きの連続だった。優先されなければならない存在が与えられたことは、文字通り実際の生活を一変させた。
アルコホリズムの影響と12ステッププログラムの実践がもたらす変化は、このブログの主題であり、連載はちょうど『変えられた態度』に入るところだ。
そして、がん。がんは私に死を連想させた。一方、死は私に生を意識させた。当たり前を疑い、自分の力が及ばない領域の広さを分からせるということにおいては、がんには多大なる説得力があった。
これらはすべて、私の物の見方を揺さぶった出来事であったと言える。

がんが見つかったら、そのがんの状態をよく調べる。その結果によってさまざまなことを仮定し、場合によってはさらなる検査を経て、治療へと進む。
私の場合は、針生検とMRIのほかに、遺伝学的な検査を受けた。これは「BRCA遺伝子検査」と呼ばれるもので、BRCA遺伝子に病的な変異がみられた場合、「遺伝性乳がん卵巣がん」と診断され、乳がんと卵巣がんの発症リスクが高いことから、まだがんのない乳房と卵巣の予防的な切除が認められる。これは陰性だった。
術式は全摘術を選択し、乳房再建は希望しなかった。術前の検査から腋窩リンパ節への転移はないと予想され、術中に「センチネルリンパ節生検」を受けた。センチネルリンパ節とは、がんから流れるリンパ液が最初に到達するリンパ節のこと。これを手術の最中に摘出してがん細胞の有無を調べ、なければそれ以上の転移はないと判断し、腋窩リンパ節の切除が省略される。転移はなかった。
術後の病理検査の結果、私のがんはホルモン受容体陽性/HER2陰性、増殖能力はやや高いタイプであることが判った。その場合、術後の化学療法の追加が検討される。そこで、個別の乳がんに対して化学療法の有効性を評価する「オンコタイプDX」と呼ばれるゲノムプロファイリング検査を受けた。これは、乳がんの組織に含まれる21個の遺伝子を解析することで、「がんの再発リスク」「術後10年以内の遠隔再発率」「化学療法の上乗せ効果」をそれぞれ数値に導き出すものである。これは、まさかの「判定不能」という結果だった。検体の状態によってはこういうことも稀にあるらしい。結局、総合的に考えて化学療法はやらない方針で決まり、先月から10年間のホルモン治療がスタートしたところである。また同時に、これまでの自分の生活習慣を根本から見直した。
こうして振り返ると、自分の力が及ばない領域の中で、それでもできることを見定めて実行していくために、私はこんなにも手厚いサポートを受けているのだと気づく。エビデンスを含めれば、ここには想像もできないほどに大勢の人たちの力が関わっているのだ。

養老先生によれば、「病気と折り合う芸」は、「年をとって、何度も病気になって、自然と身につくもの」だという。「自分の人生をどう生きるか」というアラノンのテーマに置き換えるならば、アラノンの生き方の術を身につけてから自分の人生を生きるのではない。そのためのマテリアルはハイヤーパワーが折を見て届けてくれるのであって、私たちはその都度アラノンのツールを使って生きてみるしかないのだ。私はいつもこの順番を間違えている。

余談だが、今回の入院に当たり、私の気がかりの一つが我が家のオカメインコだった。私にしか馴れていない鳥のお世話を誰がするのか(夫は鳥をバーダノンと呼んでからかう)。実を言うと、私は娘を産んだ時にも当時飼っていた老犬のことが心配で自宅出産をしている(問題の元凶は私)。それで鳥はどうだったかと言えば、最初の夜こそケージに戻るまで夫と娘をかなり手こずらせたものの、次の夜から鳥は眠くなると自らケージに入ったらしい。追いかけ回されるよりよっぽどましだと考えたのだろう。いや、アラノン的には、こっちが本題だったのかも。

  1. 養老孟司・中川恵一.病気と折り合う芸がいる.エクスナレッジ,2025,2p. ↩︎
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