色褪せた一枚の写真がある。先日実家に帰ったときに、母がこんな写真が出てきたと言って見せてくれた。小学校の卒業式の日に誰かが撮ってくれたものだ。真ん中に幼馴染みのY子、その左側にMちゃん、右側に私が写っている。彼女たちはそれぞれフォーマルなセットアップを着て、なんだかとてもお利口そうに見える。私はというと、真っ赤なポロシャツの上にタータンチェックのジャケットを羽織り、ベージュのチノパンを履いている。これが、体育館で信じられないくらい目立った。
小学校の後半の数年間、私は絶対にスカートを履かなかった。髪はショートカットで、自分のことを「ボク」と呼んでいた。今のようにはカテゴライズされなかったあの時代、特に誰も気に留めなかったけれど、普通に考えれば、やはり私は自分の性を否定していた。その頃にはすでに何度か性被害に遭っていたから、無意識のカモフラージュであったのかも知れない。まあ、卒業式に赤チェック以外の選択肢はなかったのか?とは思うが、80年代のファッションを思い起こせばそれなりに納得するものがある。
中学に入ると性は違う意味を帯び始めた。思春期という時代は、他者の評価が不均衡な威力を持つ。小学生のときには隠していたものを、私は魅せるようになった。その方が万人に受け入れられやすい、と察したからだろう。何かに身を明け渡したかのように、ここで私の性は相手ありきのものになった。とはいえ、社会的な生き物である私たちにとってこれはごく自然なことだ。おまけに誰もが未熟な状態でスタートしなければならない。10代の性は、そういう危なげなものだった。
まもなく一度目の結婚をした。そしてこの結婚が、またもや性の形をガラリと変える。ただの紙切れを提出しただけなのに、言うならば、一夜にして色彩や陰影が失われたようだった。恐らく結婚という制度が、性を義務化したのだと思う。本来的な性と「妻や母」という務めとの間にあるギャップを、私は最後まで埋めることができなかった。そうして離婚に至り、アルコホーリクである現在の夫と出会い、すったもんだの末、ビッグブックにつながった(すったもんだの内容は、How Al-Anon Worksの連載をご覧ください)。
誰にでも性の問題はある。もしなかったら人間とはいえない。そうビッグブックに書いてある。駆け足で遡ってみたが、私もやはり性の問題を抱えていた。さらにビッグブックには、その問題に対してどうするべきかという明確な指示が載っている。けれど初めて性の棚卸しをしたとき、それをまともに読んでいなかった。その後またすぐに性の問題が膨れ上がったのも無理はない。
その頃、夫がBig Book Awakening(BBA)と呼ばれるワークショップに参加していた。BBAは、効果的に12ステップに取り組むことができるように作られたフォーマットの一つである。イディオットプルーフと言うと聞こえは悪いけれど、ビッグブックの問いかけと指示を見逃がしようのない作りになっている。性の棚卸しでは「性の理想」を書くが、グループ・リーダーがそれを旦那さんの前で読み上げたという話を聞いて、夫も私に同じことをした。「自分はこういう男でありたい」という箇条書きを読みながら、夫はめずらしく泣いていた。人はそれぞれに性を負っているのだと思う。
先週放送されたピン芸人の某賞レース番組を観た人はいるだろうか。ある芸人さんが、説明書を読まずに家具を組み立ててしまった人のネタをやっていたが、これがとてもおもしろかった。ネジやパーツが大量に余り、なんでこんなことになったんだ?というシーンから思わぬ展開が広がっていく。defiance(人や物事に従うことを拒絶する反抗的な態度)はアルコホーリクの特徴だと言われるが、多くのアラノンにも当てはまるだろう。指示というものが人々のありがたい経験だと知るのに、丸50年かかってしまった。そういったわけで、私は今日もこうして淡々と、使い物にならない家具の解体作業をしなければならないのである。