アラノンの第一ステップ(3)家族の恥

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私のステップ1は、長らくこんな感じでありました。

「私はアルコールに対して無力であるけれど、生きていくことはどうにもならなくなってはいない」

そしてそれを証明すべく、真面目に残りのステップに取り組みました。お門違いとはこのことですね。もちろん自覚すらありません。

特定の物質や行為に依存し、それによって人生に悪影響が及ぶという形に必ずしも当てはまらないアラノンにとって、「powerlessness(無力さ)」と「unmanageability(人生が手に負えないこと)」の関連性が分かりにくいことがあります。そこであらためて、アラノンのステップ1を「家族の恥」という観点から考えてみたいと思います。

アルコホリズムは、誰の手にも負えない病気です。そのことに無知であった私は、父の飲酒は意志の問題であると考えました。現代の社会において、意志は非常に大きな力を持っています。強い意志は尊重され、弱い意志は虐げられます。

アーネスト・カーツ『罪と恥』は、そのタイトルの通り「罪の意識」と「恥の感覚」に関する本であります。AAの歴史家と呼ばれるカーツはこの本の中で、アルコホリズムという病とアルコホーリクス・アノニマスの経験を基に、これらの二つの苦悩を考察しています。ここで恥の性質の一つとして、involuntaryというあまり聞き慣れない言葉が挙げられています。involuntaryとは、voluntary(自由意志による、という意味 )の反意語であり、不随意、強制的、意志に反して行われる、などの意味があります。ちなみに同じ接頭辞を持つvolunteer(ボランティア)は自発的に何かを行う人のことであり、聞き馴染みのある言葉ですが、これと真逆の意味合いであると考えると想像しやすいかも知れません。

さて、このinvoluntaryなる言葉と恥の感覚にはどのような関係があるのでしょうか。不随意は「意のままにならないこと」を意味します。意志と無関係に生じる運動(痙攣や震えなど)に対して医学的に使われる言葉ですが、アルコホリズムの症状もinvoluntaryであります。しかしながら、アルコホリズムの症状を痙攣のようなものであると考える人はいないでしょう。先ほど触れたように、意志の弱さは軽蔑の対象となります。私が父の飲酒を意識するようになったとき、この感覚はすでに私の中にありました。一人前の人間であれば難なくできるはずのことがままならない。それが父の欠点であると信じ、私は父と、彼の子どもである私自身を深く恥じました。自らの意志が利かないという苦しみは、恥の感覚がもたらす痛みであるのだと、カーツは述べています。

「罪の意識」と「恥の感覚」は、これから始まる家族の回復にも大きな関わりがあります。いずれにしても後々のステップでそれぞれ直面するものですが、involuntaryであることの恥の感覚はアラノンのステップ1において特に重要であると考えます。なぜなら、家族はこの「意志にまつわる恥の感覚」をひどく嫌い、自らの意志を強く保つことによってそれを解消しようと努めるからです。そうして勝ち目のない闘いを絶対に止めようとしません。

・・・その結果はどうであったでしょうか。私には自分の意志の力で恥のない生活を送ることなどできませんでした。自分の恥に向き合うことが耐えられず、幻想の中に生きることとなりました。その生き方は、私のことを大切に思ってくれているあらゆる人たちを拒絶し、傷つけます。そこに本当にあったものは、私が「親とは違う」ことを証明しようとがんばればがんばるほどに、自分の感情も、母や夫や子どもとの関係も、家庭の経済状況も、なにもかもが意のままにならなくなるという現実です。それを認めることが、後のステップ1でありました。