私の夫が初めてAAに行ったのは、30代の前半でした。その後十数年ソーバーだったものの、気が付くと色々な恨みを抱いてグループを去っていました。そしてやはり気が付くと、夫は酒を飲んでいました。最初の数回は、それほど悪いことのようには見えなかった。イギリスから遊びに来た甥っ子とカフェのテラスでビールを飲んで、そのささやかな幸せを尊いとさえ思ったことを覚えています。そして、その効果が翻るのが早かったことも。
数年後、AAに戻ったその日のミーティングの後、夫はあるメンバーに「スポンサーになってくれないか」と尋ねました。彼は「なんで俺なの?」と尋ね返しました。「あなたの話していたことがよかったから」と答えた夫に対し、彼はこう言ったそう。「へー、君、人の話が聞けるんだ?」と。
まだ手が震えている状態の人に言うにはきつい冗談だなあと思うけれど、この言葉が今となって私の心に深く響きます。
“Listen and Learn”
「分かち合う」に並び、「聞く」という行為はミーティングを構成する大きな要素であると同時に、回復のために不可欠なツールです。けれど、夫の元スポンサーの言葉を冗談たらしめるのも、“Listen and Learn” のスローガンたる所以も、人の話を聞かないという、私たちの共通の事実。
人の話に耳を傾け、そこから学ぶことができるのは、謙虚で成熟した人です。それは私たちの多くが目指すところであり、そう考えると大切なスローガンですね。How Al-Anon Works の9章は取り上げていませんが(+ミーティングでも余り耳にしないかも)、デイリーリーダーの方では数多く言及されています。
“Keep an Open Mind”
対義語が続いているところで、逆の意味である close-minded の特徴を見てみましょう。
Cambridge Dictionary によれば、それは「違った考えや意見を認めようとしない(not willing to consider different ideas or opinions)」態度を示しています。つまり、自分とは違う考えや意見を受け入れようとする姿勢が、開かれた心の状態であると言えます。
誰でも自分に都合のよいことは歓迎するわけですから、その考えや意見とは自分にとって好ましくないものを示唆しているのでしょう。自分の現実というのも、だいたいは耳が痛い話であります。それでも、人生に完全に行き詰まり、自分の力ではもうどうにもならないと認めた時にも、私たちは誰かの提案や自分の限界を超えた何かを受け入れようとする心持になります。
“How Important Is It?”
誰かの言動、自分の正しさや間違い、「こうでなければならない」という考えに固執してしまう時、私たちはこのスローガンを自分自身に対して問いかけることができます。アラノンらしい、ユニークなスローガンですね。
このスローガンはパースペクティブを得るための助けになると、How Al-Anon Works は本セクションの始めに述べています。
パースペクティブ(perspective)は、「ある物事に対する考え方」の他、「何が重要であるかを知り、重要でない事柄については気に病んだり考えたりしない状態」「真に重要なこととそうでないことを見極める能力」などの意味を持ちます。
誰かのアルコホリズムは、このパースペクティブを狂わせます。アラノンのメンバーたちが折に触れて、自分の見方を疑っている姿をよく目にします。他のメンバーに話を聞いてもらうこと、また祈りと黙想を通して、それを確認しながら進むというアラノンのプロセスは、歪んだ見方が矯正されるまでに時間を要することを示しているけれど、同時に私たちがもはや孤独ではないことの証でもあります。
“But for the Grace of God”
“There but for the grace of God, go I” の省略形であるとされ、またフレーズや由来説にもいくつかのバージョンがあるそう。キリスト教の文脈の外においても広く使われているとか。
「神の恵みによって今日の自分がある」という意味の箴言ですが、私がこれまでに参加したミーティングでは耳にしたことがありません。それが文化的な理由によるものなのか、普段使いには不向きということなのかは分からないけれど、重要視されていないわけではないと思う。
このスローガンについて考えると、夫がAAに戻った時のことを思い出します。まずそれは、「(自ら)戻った」という感じではなかったのです。こちら側には何の計画も、意志さえもなかったからです。あの頃、死がすぐ近くにいました。あの時の不思議な働きがなかったら、私たちは今ここにはいなかっただろうと思っています。
