When Love Is Not Enough: The Lois Wilson Story からアラノンの関係性を考察するシリーズ記事の第二弾、今回は『父親編』であります。
前回の記事でも注意書きした通り、ここではパートナー・友人がアルコホーリクである場合における親との関係性に限定しています。私の場合も実の父親についてはほとんど記憶がなく、育ての父親はアルコホーリク。なので少し客観的な記事になるかも知れないと思っています。
運命の悪戯
さて、ロイスにとって大切な場所と言えば・・・彼女が生まれ育ち、のちにビルのアルコホリズムの絶望と希望を知ることとなったクリントン通りのアパート、そして二人の終の棲家となったステッピング・ストーンズでしょうか。
それからもう一つ、ロイスが愛してやまなかった風景があります。
それは家族で夏を過ごすコテージがあった、バーモント州ドーセットのエメラルド湖。その名の響きだけで緑色に輝く水面が目に浮かぶようですね。ビルの生家からほど近いその地は、二人が初めて出会った場所でもあります。ビルはロイスの弟ロジャースの友人でした。
当時、ロイスには交際している人がいました。両親は娘がこの前途有望で誠実な青年と間もなく結婚し、幸せな家庭を築くことに何の疑いも抱いていなかったようです。ところがロイスは彼からのプロポーズを断り、まだ何者でもない4つも年下のビルと将来を約束します。
いつの時代も子は親が思うようにはならず、親は自分の信念の外にある子の幸せを見ようとしないもの。けれどこの時、ロイスの選択の先に置かれていた彼女の人生を誰が想像したでしょう。
ロイスの父 クラーク
前回の記事で、ロイスの母マチルダはビルを無条件で受け入れたと書きましたが、父クラークがビルとの結婚を反対したわけではありません。クラークもまた、ビルを好意的に迎え入れました。
それでもビルの飲酒が本格的に始まるずっと前から、父は時おり見受ける娘婿の飲み方に不穏な何かを感じていました。ことアルコホリズムに関し、私たちの予感はまるで蒔かれた種のように現実化していきます。
そうして起きた様々な騒動の中でも、ロイスの人生に大きな影響を与え、また次回の記事『友人編(1)』にも深く関わる出来事が一つあります。
妊娠中のロイスは既に二度流産をしていたこともあり、父の勧めを受けて仕事を休んでいました。しかし子宮外妊娠によって卵管が破裂、両側の卵巣・卵管の摘出を余儀なくされます。その際も酩酊し、誰よりも夫を必要とした娘のそばにいなかったビルに対して、クラークは強い怒りの感情を露にしました。
けれど父の憤りは娘にうまく届きません。なぜならロイスは、子どもがいないことがビルの飲酒の原因の一つであると考えていたからです。
その5年後、クラークは株価の大暴落によって全てを失った娘夫婦を家に住まわせ、ビルが暴れる度に鎮静剤を打つようになっていました。
怒りも献身も懇願も役に立たなければ、アルコホリズムがもたらす目の前のトラブルに淡々と対処するしかありません。今度こそ最後、と自分に言い聞かせながら。
父が見た娘の狂気
アラノンによる狂気の定義:performing the same action again and again, each time expecting to achieve a different result(同じことを延々と繰り返し、そのたびに違う結果を期待する)は、ロイスの行動を言い表したクラークの言葉であったようです。
自分もアルコホリズムの影響を受けながら、それでも医師としての客観性を見失うことはなかったのかも知れません。
マチルダの死後、クラークは妻の闘病中より関係のあった女性と結婚しました。そのことを快く思わなかった子どもたちのうち、婚礼に参加し、ハネムーンに出かける二人を見送ったのはロイス一人。
実家から父もいなくなり、ロイスは母との約束を守るべく、自立するために働きながらインテリア・デザインを学ぶスクールに通います。しかし世は歴史的大不況の最中。クラークもまたその煽りを受け、エメラルド湖のコテージを手放しています。
家族の心の声
その後、クラークの第二の人生が長く続くことはありませんでした。それでも病に倒れる前、娘の長年の願いが叶ったことを知ったクラークはクリントン通りのアパートを訪れます。しかし彼がそこで目にしたのは、アルコホーリクたちを助けるために東奔西走するビル、家に出入りするあらゆるステージのアルコホーリクたち、以前にも増して憔悴したロイスの姿。
余りの事に驚いた父は娘に説明を求めます。その時のロイスの長い釈明も、それに対するクラークの短い返答 “But you deserve better than this.” も、痛いほど分かる。
「もし夫が飲酒の問題から本当に解放されたのならば、その夫が長く苦しんだ妻に差し出す生活はこんなものではないはず」
言葉にならなかった父の声は、私たちの心にあるもの。家族の先にも、長い回復の道があります。
その翌年、クラークは81年の生涯を閉じました。ビルとロイスの生活は依然として不安定ではあったけれど、変化も一つ。そう、クラークの葬儀には二人揃って参列したのです。
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予想通り、中立的な話になってしまった。父との関係性は、私にとってただの憧れであるのかも知れません。
ところで私の夫の父親は、navvyと呼ばれる労働者として十代でアイルランドからスコットランドに渡りました。離島でダムを建設する仕事に携わっている最中、事故で片足を失っています。同僚がその場で足を切断したという話が BBCドキュメンタリーで放送されたこともあったとか。小学校しか出ていない義父は、その後も溶接工場や浄水所で肉体労働一筋に定年まで勤め上げました。
当時バーやレストランで働いていた私の夫に対し、「お前はいつまともな仕事に就くのだ」と問い続けたそうです。父には父の、労働に対する明確な価値観があったのだと思います。
ビルもまた男として義父から認められることを求めていましたが、ブローカーという仕事もやはり、クラークの美学には沿わなかったようですね。
