ステップ7の前半記事『アラノンの第七ステップ(1)予の辞書にaskという言葉はない』では、ask という言葉について考えました。
ここで今一度、「求める」という意味における ask の定義を確認してみます。
「say to someone that one wants them to do or give something(誰かに何かをして欲しい、あるいは何かを与えて欲しいと言う)」
これを見ると分かるように、何かを求めるならば、私たちは相手にその旨をはっきりと伝える必要があります。
(前半記事に書いた)夫に洗い物を頼み、夫のやり方にあれやこれやと口を出す妻も、自分で作った回復のプランを神に手渡すアラノンメンバーも、確かに相手に求めてはいます。けれど How Al-Anon Works も述べている通り、それは私たちの意志の押しつけに過ぎません。
そこで、ask に係る「humbly(謙虚に)」が大きな意味を持つようになります。
「謙虚」≠「謙遜」
「謙虚」とは。
これはミーティングでも度々話題に上るテーマです。日本人同士では「謙遜」を引き合いに出して語られることが多いような気がします。
スイスで暮らし始めた頃、褒められると反射的にそれを打ち消すような態度を取る私に対して、ヨーロッパの人々は一様に怪訝な顔をしたものでした。
いわゆる、「ドイツ語が上手ですね」などのコメントに「そんなことないです!」と返すようなやりとりです。
「謙遜」は、日本では相手への敬意を示す文化的な習慣であると言われています。また、人間関係を円滑にするための表面的な戦略、あるいは自己防衛としての機能を果たしているとも考えられますね。
ところで当時、90年代の日本において、褒め言葉に対して「ありがとう」と答える人は、今よりもずっと少なかったように思う。称賛を素直に受け取る最近の若い人たちを見ていると、謙遜が美徳であるとされた時代は過ぎつつあるのだろうと感じます。
いずれにしても、自分が何かを得るためのへりくだりである限り、それもまた私たちの意志であると言えるでしょう。
「謙虚」と「屈辱」の関係性
一方、英語で「謙虚」について考える際によく比較されるのは、「humility(謙虚さ)」 と「humiliation(屈辱)」という二つの言葉です。
単語の綴りからも分かるように、これらは共に「低い」という意味のラテン語、humilis にルーツを持ちます。
「謙虚」と「屈辱」を並べて考えることは、心理学や宗教学の範疇に入るような大きなテーマであり、私に語ることなどできるはずもありません(謙遜)。それでもプログラムの経験から、わずかに思い当たることがあります。
屈辱。それはアルコホリズムの狂気の中で私が何より恐れたものでした。
だから私はひたすらに現実から目を背けました。アルコホリズムがもたらす現実は、屈辱以外の何物でもなかったからです。
しかし現実逃避が行く着く先は、これまでに何度もこの連載の中で見てきた通りです。私にとっても、やはりもう屈辱を受ける他に道はなかった。
けれど今なら分かります。屈辱こそが、その時の私に必要なものであったことを。
屈辱のお陰で、今があります。
再びの「humbly(謙虚に)」
ふと古いポケット版 Webster’s Dictionary を手に取って開いてみたら、非常におもしろい定義が載っていました。
humility(謙虚さ)とは、
「the state or quality of being humble(humble な状態または性質)」であり・・・
humble(謙虚な)とは、
「having or showing a consciousness of one’s shortcomings(自分の欠点を意識する、または自分の欠点を明らかにすること)」であると。
これって、これまでのステップの実践そのものですね。
「謙虚」とは、私たちが目指すものでも努力によって獲得するものでもなく、プログラムによって与えられる生き方を指しているのかも知れません。
