“GROW UP.”
前回の記事で、此れを夫に言われると非常に堪える・・・というフレーズが三つあると書きました。今回のフレーズはその二つ目です。もうお気づきの方もいるかと思います。恥ずかしながら、このたった二つのワードが、私の在り方を指し示すものです。
grow upは「成長する、大人になる」という意味です。わりと頻繁に使われる表現なので、いくつか例文を挙げてみます。
・He grew up in Scotland.(彼はスコットランドで育った)
・What do you want to be when you grow up?(大人になったら何になりたい?)
・I have two grown-up children.(私には二人の成人した子どもがいる)
日本に帰国したとき小学二年生だった私の娘は、この春で中学三年生になります。思春期に特有の憧れや悩みを抱えながら、現実を生きることで日々変化しています。私が娘に対して持っていた認識など軽々と飛び越えていきました。子どもはこのように成長していきますよね。
冒頭のフレーズは、このgrow upが命令形になったものです。私のような遥か昔に成人した人間に向かって「成長しなさい」と言うということは・・・そう、これは誰かの幼稚な言動を辛辣に批判するときに発する言葉です。
前回の”DON’T PRETEND.”で、人は何らかの目的を実現させたい時にpretendする(〜のふりをする、取り繕う)と書きました。私がpretendするのは、相手や場をコントロールしたい時です。夫の感情を逆撫でしないよう、娘を悲しませないよう、母の批判を封じるよう・・・何であれその目的は「私の安全が脅かされないようにすること」にあります。コントロールしてまで傷つくことを避けるのは、言い換えると、許容範囲がまったくないということです。つまり、夫の不完全性を受け入れず、悲しむ権利を娘から奪い、自分の欠点も認めない。これが、夫にこの台詞を言わしめる私の幼稚さであります。
頑なまでの守りは、アルコホリズムの影響の一つであるでしょう。「自分がこうである」理由を知ることに心を砕いた時期もありましたが、今はあまり重要視していません。いま私にとって重要なのは、回復への道を目指すとき、この恐れが大きな障害になるという事実です。私にとっての回復とは、終わりなき現実との対峙であるからです。もう一つ、アラノンで知った重要な事実があります。あれほどまでに恐れた真実は、夫や娘、そして私自身を傷つけるものではなかった。家族と私を傷つけるのは、アルコホリズムを生き抜く術として身につけた、私の生き方であったのです。なんとも皮肉な病でありますね。